センスのある船橋市 税理士
四千万人の人口をかかえ圏内市場も大きい韓国の場合は重工業化路線をとることができた。
質のよい豊富な労働力を基盤に、より迂回的な生産を通じて産業構造を向上させることが可能だったのである。
これに対し、その約半分の人口しかない台湾は、中小企業の活力をバネに発展を遂けてきた。
付加価値の高い工業製品の生産にかぎられた労働力を特化するという方式をとってきたのである。
やはり相対的に人口規模の小さい香港やシンガポールの場合も同様であった。
そして、これらの国や地域はいまでは技術水準は優れて高く、ハイテク商品の主要な輸出国にまでなったところもある。
所得水準も大幅に向上し、欧州の先進国と比べても遜色はない。
先進工業国と呼んでもおかしくはない状況にまできている。
しかし、一つ大きな問題がある。
それはアジアNIESの対米黒字が増大し、さまざまな対抗措置が講じられ始めたことである。
一方で対日貿易は赤字になっているため、アジアNIBSはその矛先を日本に向げる、という状況になってきている。
また経済的成功はそれぞれの国の内部に大きな変化をもたらす、貧富の差の拡大や政治的自由の要求などにより、労使紛争や独裁政権の崩壊という次の問題が発生する。
新中国(中華人民共和国)が建国されたのは一九四九年であった。
五三年から第一次五カ年計画が始まり、七八年末までは厳格な社会主義計画経済体制を敷いて進んできた。
ところが、建国二九年が過ぎても経済の効率は上がらなかった。
成長が阻害された要因として、反右派闘争や大躍進運動、文化大革命といった政治権力闘争がほぼ五年周期で発生したことが大きく、その度に経済活動は大混乱に陥った。
すべてを国家が決定するという計画経済のやりかたそのものにも大きな問題があった。
個人や企業は成果に対して無責任になり、やる気が起こらなくなる。
そこで、より効果的な経済の運営方法を模索し始めた共産党中央委員会は、七八年末、改革・開放路線を打ち出した。
改革とは、経済計画の及ぶ範囲を狭めて、競争原理の働く領域を広げようというものである。
資本主義的な市場経済方式の導入である。
まず農民が人民公社という集団所有制を離れて個人農家単位となった。
次いでサービスや軽工業、そして重工業という順で、企業が自分で生産や販売を決定する自主裁量権を拡大した。
開放とは、国際経済とのかかわりを深めていこうというものである。
具体的には貿易の振興をはかり、外資の導入を積極的に推し進めることである。
これはアジアNIESの方式をそのまま借用した。
改革・開放路線をとるようになってから、農民の労働意欲は向上した。
食糧生産は国民一人当たり三百二十キログラムだったものが三百八十キログラムに増大し、鉄鋼生産にいたっては三千万トンから八千万トンにまで増大した。
いまではGNPの八割までが非固有部門の生産で占められるまでになっている。
経済成長率は五0ー七八年で平均六%前後、それが七八年以降は九%にまで加速された。
世界第三十一位だった貿易額も十一位へと躍進した。
現在のGNPは七八年のほぼ三・五倍の大きさになったし、貿易も七倍の規模になった。
高度経済成長が実現されたわけである。
ところが、一人当たり所得は三倍近くにもなっているが、ドルベ−スでみると、三百七十ドルとほとんど増えていない。
これは、政府の輸出振興策の一環としてとられてきた元安政策による。
世界銀行によれば、この三百七十ドルというのは実態を反映したものとはいいがたく、より現実的な数字は一千ドルあたりとされている。
これに十二億という人口をかけると日本のGNPの半分にも達する勢いである。
とくに上海や北京といった大都市の一人当たり所得は三千ドル以上とされており、十年くらい前の韓国や台湾の水準に達している。
中国は現在、ちょっとしたバブル経済の様相を呈している。
あまりにも急激な成長で拝金主義が蔓延し始め、インフレが大きな懸念材料となっている。
このままではいつか成長にブレーキがかかるので、GNPの成長を九%以内に抑える政策の実施を始めた。
アジアNIESの一角を占める香港の人口は約六百万人、中国の0・005%にすぎない。
しかし、GNPは中国の五分の一、一人当りでは中国の四倍の水準になっている。
香港は英国の統治下、戦前より自由貿易港として発展してきた。
戦後は中国からの大量移民のおかげで労働力が大幅に増強され、上海で紡績業に従事していたような移民を中心に、繊維製品の加工・輸出を成功させた。
原材料の入手、製品の輸出がしやすい自由貿易港という条件に恵まれたことも大きかった。
これにともなって商業、とりわけ地場金融業が急速に発展した。
そして一九八0年代には製造業の中心を、より付加価値の高いエレクトロニクス関連へとシフトさせることに成功し、現在の新興工業地域の地位を得た。
七八年、中国が開放政策に転じたのにともない、香港は大陸との結びつきを強めていく。
八二年のS訪中を機に開始された中英交渉は、曲折を経ながらも両国は八五年、香港の中国返還合意に到達した。
中国は香港について、九七年の返還以降五十年間にわたって特別行政区として現行の体制を維持するという、いわゆる一国二制度構想を公言している。
一方、香港の人々の大半は大陸から逃けてきたわけで、共産主義に対する不信は根強い。
だが返還が三年後に迫った現在、より現実的でしたたかな対応も目立ってきている。
労働力不足に悩む香港の企業家が生産拠点を移した広東省では、金融、物流といった産業がすでに地場産業となっている。
一方、返還後の経済体制を案じて香港に投下されていた資本が引き揚げられる傾向がみられた八0年代後半、中国は香港への積極的な資本投下を進めた。
中国銀行による地元銀行の買収、キャセイ航空などを傘下にもつスワイヤーズ・グループの株式取得などが行われた。
こうした流れは八九年の天安門事件で一時的に後退するが、そのあとふたたび一段と加速され、「中国の香港化」とも「香港の中国化」ともいわれる情況が出現している。
広東で香港ドルが公然と流通し、香港でも人民元がしだいに流通している。
中国の貿易に占める香港の割合は三O%を超え、最大の取引相手となっている。
そのなかでも、いくつかの間題をかかえている。
一つは返還前に香港の政治体制をより民主化させようとする英国とそれに反対する中国とのあいだの交渉が決裂してしまったこと。
これは将来に禍根を残す可能性もあり、重大な不安材料である。
また、香港からの海外脱出組もここへきて増えている。
しかしこれは一時的な避難であって半永久的な移民とは考えにくいため、一概に悲観的にとらえる必要はないだろう。
最大の問題はむしろ、中国が返還後の香港に対して言論の自由を奪う可能性にある。
そうなると情報産業の発展の機会が奪われ、それが金融・物流産業などへも波及しかねない。
この点では香港の将来は中国の手中にあるということもできる。
東南アジア地域は、もともと天然資源に富み、安い労働力が豊富なことから、列強に搾取される歴史が長くつづいた。
戦後になるとそうした露骨な経済支配は影をひそめ、代わって先進工業国による直接投資が急増した。
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